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道楽者の詩

写真とカメラ、山登り、ギターをはじめ、日々の私情をつらつらと

もう大丈夫かな 広島カープ リーグ優勝へマジック3

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プロ野球チーム広島カープの優勝がマジック3まで迫ってきています。マジックナンバー3というのは、自力で3勝すれば、他チームの勝敗に関係なく優勝できるということです。最近はプロ野球の興味は薄らいできてはおりますが、自称広島ファンになって48年、私の中ではもう優勝したような気分で、心穏やかざる心情でその時を待っています。毎年優勝するようなチームファンには決して味わえない気分です。

 

もう何年前になりますか1996年のことでした、10ゲーム以上の差をつけて首位を突っ走っていたにもかかわらず、かの長島さんの「メイクドラマ」とかいう訳のわからんフレーズとともに最下位から優勝をさらわれました。あの年、優勝できなかったことは決して忘れてはおりません。ゲタを履くまで勝負は分らないということを痛いほど教えられたものです。ですがあと3勝です、もう喜ばせてもらってもいいでしょう。

 

 

私が広島カープを意識したのは、小学校5年生。それまでテレビでは巨人のゲームしか放映していないものだから、巨人対その他のチームという構図が刷り込まれていました。力道山対悪役外国人レスラーという構図に似ています。しかし、たまごやきはともかく、巨人が国民的大横綱の大鵬と並び称されることには違和感を持ちました。大鵬の相手は悪役力士ではないし、また大鵬以外の取り組みも平等に放映されるのに、なぜ巨人だけは特別扱いなのか、それがどうしても納得なりませんでした。

いろいろ聞いてみると、どうも他球団が悪役ではなく、どちらかといえば巨人のほうが横柄な悪役球団に見えてきました。で、万年最下位、お荷物球団とまで言われる、お金のない市民チーム、企業の宣伝目的ではなくて、野球をやりたい人が集まった広島カープというチームに惹かれるようになります。自分が判官贔屓だということを自覚した最初のことだったと思います。

あわせてその当時は、なぜカープだけは最後に「ズ」がつかないのか非常に不思議でしたが、当時は誰もその疑問には応えてくれませんでした。

 

当時の選手は、外木場と安仁屋そして衣笠くらいしか記憶がありません。そしてチームカラーは紺色で、これを基調としたユニフォームでした。そして「広島ファン」だということは、あまり口外できませんでした。だってお荷物球団で、勝てないんですから。。。

 

 

初優勝は1975年でしたね、覚えていますよ。監督は温厚な古葉さんでした。優勝することはないだろうと思ってましたから、びっくりしましたね。

その後、79年は江夏の活躍で日本一、80年も連続日本一、84年優勝、86年リーグ優勝、91年リーグ優勝。そして25年のブランクを経て、2016年、黒田の200勝、新井の2000本安打達成が花を添える形でどうやら優勝できそうです。マエケンが大リーグに行ってしまったその年に優勝というのはどうなのかなと思うところはありますが、マエケンにはしばらくドジャースで頑張ってもらいましょう。世界一なって帰ってきてください。

 

これまで多くの選手を輩出して来ました広島カープですが、どうにも我慢ならんのは、札束で選手をかっさらっていくFA制度。仕方が無いといえば仕方がないのでしょうが、川口、金本、江藤、ここらあたりの選手が、目先の金目的で出て行ったのはつらかった。

反対に心に残る選手は(たくさんいるのですが)、やはり津田をおいてほかには挙げられないでしょう。南陽工業の時から甲子園での雄姿をテレビで見ておりましたが、津田の「投球」は本当にすごかった。江夏の投球もすごかったけど、やはり津田は忘れられない投手ですね。

 

今では北海道、埼玉、千葉、福岡など地域性を前面に出しているチームもありますが、市民球団として広島カープは一線を画します。生え抜きの育成という点についても他球団とはちょっと違います。選手一人ひとりを大切にしている印象を強く持っています。

このような市民チームで、選手を大切にするチームで、義理堅いチームが私はスキです。元々判官贔屓ですから、負けが込んでも少々は我慢は出来ます。そういう意味では、ここのところの湯郷ベルの内輪揉め騒動は非常に残念なところです。