道楽者の詩

写真とカメラ、山登り、ジムニー、ギターをはじめ、日々の私情をつらつらと

「感動を与える」という言い回し

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先のロシアでのワールドカップやオリンピックなどで、「感動を与える」という表現をよく耳にします。自分の記憶の範囲では、一番最初に耳にしたのは苦し紛れに発した宮間あやだったと思います。実際にはもっと先に発言した人がいるかもしれません。

誰がいつ発言したかはさておいて、日本語としての響きとしてはどうしても違和感が残ります。押し付けるようで横柄な印象が拭いきれません。

 

賢者の皆様はいかがお感じでしょうか?

 

じゃあどうすればいいのかといわれたら、「感動を感じてもらえる」とでも表現してもらえばすんなりと受け入れられます。おんなじじゃねえかといわれたら、確かに意味は似たようなのもなんですが、

 

「感動を与えられるように頑張ります」と「感動を感じてもらえるよう頑張ります」では、響きは大きくちがいませんか?、前者の表現であれば、聞かされた側には感動以外の選択肢がないような感じ、もしくは押し付けられているような印象を受けてしまいます。発言者によっては「大きなお世話だ」と言い返したくなることもありえます。

 

まあどちらでもいいのですが、できれば贔屓の選手には「応援していただいている皆様に、感動を感じていただけるよう努力したい」とか、「自分のパフォーマンスで感動を感じてもらえたのであれば光栄です」、くらいの言い回しを期待したいと感じております。

 

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