岡山県 真庭市(旧勝山町) 谷山川の滝
国土地理院の地形図によると、真庭市(旧勝山町)の谷山川には滝マークが記載されています。一方ネットの滝情報によると、「谷山川の滝」として有名サイトで紹介されていました。多分に洩れず、急斜面を降りていかなくてはならないということなので躊躇していました。
じっくりと谷山川にトライしてみようと思ったのは2015年のことでした。
ネットで紹介されている「谷山川の滝」は辛うじて林道から見る事もできます。急斜面を降りて行っても途中からは絶壁で、滝下へは降りられませんでした。改めて下流からアプローチして、なんとか正面から見ることができて一旦終わったのです。
これで終わったかと思ったら、地形図の滝マークの位置とは大きくずれているのです。滝そのものはネットの写真と同じなので、特定は間違ってないと思うのです。
以前、国土地理院に地形図に記載されている滝マークの記載基準および信憑性を直接電話で尋ねたことがあります。自然相手特有の諸事情もあって、白黒誰もが納得できる明瞭な説明は難しいようです。言いにくい事も教えてもらって感謝しています。しかしこのたびはなんとなく釈然としないので、最寄の集落で直撃取材を敢行しました。
すると「谷山川の滝」と称していたのは地元では「塩滝」(しおたき・しょうたき)と呼ばれていて、さらに上流にはアクセスは厳しいが大きな滝があるということした。
どうやら地形図の滝マークはフェイクではなくその「大きな滝」のようなので、滝下に行ってみないといけません。林道からはそれらしい音は聞こえるのですが、全く見えません。探していると、「大きな滝」の落ち口を見つけました。存在を確認したので、意を決してブッシュの中を降りて行って出会ったのがこちらの滝でした。
この大滝はネット上ではいくら探しても見つけられません、ネットに載せたのはたぶん私が最初ではないかと思います。当時はかなり興奮したものです、本滝だけで20mくらいはあると思ってしまいました。
今年になって、友人を案内して二回再訪しました。最初の時の印象とはえらい違って、落差は13mくらいかなという感じでした。「印象」というのは返す返すも当てにならないものです。
案内した百選マスターの滝仙人殿によると前衛滝を含めて三段20mの滝とするのが妥当じゃないかということで、そのように訂正したいと思います。
ちなみにアクセスは、地形図に記載されている谷山川の滝マークに向けて、未舗装林道から降りていくだけです。30mのロープがあればより安全でしょう。
伯耆大山 古道の横手道から廃道の正面登山道を歩く
伯耆大山は中国地方唯一の百名山ですが、標高は1710mと全国的に見れば2000mにも満たない低い山です。しかし日本海に面した独立峰であって、厳冬期の厳しさは3000m級の山にも匹敵するといわれています。
山容は南北から見ると、屏風を立てたような横長に見えるのですが、西の米子・溝口方向から見ると綺麗な富士に似た様相です。
今回はこの真正面から直登に近い道を登ることにしました。マップで見るととてもワクワクするルートです。この道は現在では「廃道」とされていまして、道標や案内は全くありません。登山口の案内さえもありませんが、実は地元の方は今でも普通に登っているという話です。
天気さえよければ、上の写真のように米子・溝口方向へは全く遮るものがありませんので眺望は抜群なはずなのですが、このたびは残念な結果になってしまいました。
今年で開山1300年という大山、そのご本尊である大山寺への参道として利用されていた横手道を歩いて正面登山道の登山口へ向かいます。
案内板から横手道の説明書きを転載します。
大山道の発達は、大山信仰と大きく結びついています。大山は古代山岳仏教の聖地であり、「弥山禅定」といった修行僧による修験の山として開かれました。
大山寺を開いた金蓮商人が大智明権現(地蔵菩薩)を祀ったことで、地蔵信仰が生まれ、亡くなった人を供養する寺として多くの人々が訪れました。この横手道沿いにも一町地蔵があるのはそのためです。
また、来世の変身を願って日本六十六ヶ国を巡礼する廻国行者が歩いた道でもあり、著名な社寺に大乗妙典(法華経)を書写して奉納したのです。六十六ヶ国のうち、山陰地方の社寺は、出雲の「大社」、伯耆の「大山寺」、隠岐の「焼火」、因幡の「一の宮」が指定されていました。
江戸時代になると、大山博労座で日本有数の牛馬市(福島県白河の馬市、広島県久井の牛市の三大牛馬市)が開かれ、各方面から牛馬を連れた多くの参拝者が大山道を通りました。現在でも大山寺境内には、宝牛の像があり牛馬信仰が残っています。
このように大山へ詣るための道として整備されたのが「大山道」です。大山道は5道(尾高道・川床道・坊領道・溝口道・横手道)あり、「横手道」はそのひとつです。横手道の名の由来は「大山の西側の山腹を横切る道」ということから名づけられました。
当時は大山寺を出発し、横手道を通って岡山の美作へ抜けて、山陽方面とを結んだ道でした。
※ 一町地蔵:60間(約109m)おきに置かれた丁石の意味を持つ石地蔵
岡山県の大山道は、湯原釘抜から三坂山の麓を通って久世三坂へ抜け、美作追分あたりに続いているのは道標で確認しています。
さて、大山寺から横手道を50分(2.8km)歩くと桝水スキー場の上の展望台へ到着します。このときは辛うじて弓ヶ浜が見えていました。展望台の上のベンチの対面から登って行きます。
暑苦しいブナの樹林帯を抜けて、虫がブンブンまとわりついてくる低木帯を抜けると高度感のある絶景が得られるはずでした、しかし。。。
期待した眺望は得られることなく、残念ながら山頂へ、
登山バッチを買って、景色は諦めて帰ることにしました。
頂上避難小屋の売店にしか置いてありません。
これですね、登山届けはコンパスで提出していますが、Bluetooth はOFFにしてるから意味ないじゃん。「Bluetooth を ON にしてください」と表記して欲しいものだ。
詳細な道中記はこちらへ。
この季節、大山の六合目より上は思いのほか虫が多く耳たぶだのおでこだの刺されてしまって非常に痒い。防虫スプレーでは間にあわないので、防虫ネットがあったほうがいいですよ。
この防虫ネットを使っています、
前も見やすくて歩行の邪魔になりません。